居場所をつくる

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都会生まれ都会育ちの人からすると、どこを切り取っても田舎に見える場所に生きている。

生まれ育った街には山と海の匂いがあった。今住んでいる街にも同じ匂いが近くにある。空は高く空気が澄んでいる。日差しは真っ直ぐに差し込んで、水が美味しい。

ご飯も美味しい。この上無いくらいに。それがここにある全てだ。自然と水とご飯によって生かされている。皿の上に乗った魚の頭が語りかける。他に必要なものなんてあるのか?

生きていくのに必要のない写真をやっている。この田舎で。初めて一眼レフのカメラを買った時、周りで写真をやっているのは2人だった。僕はその2人から大きく影響を受けて、今も写真を撮っている。

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コロナ禍により、生活に必要のないものは順番に切り捨てられている。

何かを捨てる必要もなく、今まで通りの生活を続ける人もいる。その反面、生きていく為に限界まで切り詰めた生活を余儀なくされる人もいる。必要ないと切り捨てられた時に、写真は何も出来ない。

誰かの生活には必要のない写真も、僕の生活には必要なものだ。他にも映画、音楽、小説、漫画、自転車、散歩、旅行。生活を続けていく上で必要な、捨てられないものが沢山ある。

ここに居ていい。という言葉は、ここに居ないで出ていってにいつか変わる。関係が長く続くコツは、どれだけ好きであっても無闇に受け入れないこと。ただ隣にいる。ただ存在している。人も写真も同じだ。

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同じ活動をする仲間のいない中で、いつからか孤独と向き合うようになった。

一人ぼっちの活動は寂しい時が多く、つらいことも沢山ある。心ない他人の言動に挫けそうになっても、立ち上がる時はいつも一人だ。行動の結果が全て自分自身に返ってくる自由さと重圧がある。

写真を撮らせて貰える人が一人、二人と増えて、こういう事をしたい。こういうものを作りたいという欲求が生まれる。年を重ねるごとに毎日が楽しくなるけど、孤独はいつも傍を離れず、ああこれは一生付き合っていく友人みたいなものかなと捉えるようになった。

選択肢の少ない田舎では、自分のやりたいことは人の役に立たない、必要のないものと思い込んでしまう。今もそういう気持ちがある。折角活動を続けているのだから、まずは自分の生活に必要なものでありたい。初めは僅かな人の繋がりから、少しずつ輪を広げていきたい。

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居場所を作っている。都会には沢山あるだろう活動の場所を。誰もいないからやらないのではなく、自分が最初の一人になるつもりで動く。

いつの間にか中身の抜けてしまった街。空洞の場所を車だけが走っている。昔は人の気持ちで溢れていた場所も、今は何だか寂しい。

風のない晴れた日。それほど遠くない場所から煙が上がっていた。広い土地から青い空に向かってぼうっと昇っていった。すぐに消えるだろうと思っていた煙を、夕方になるまで何時間も眺めていた。

今週末もカメラを持ってどこかへ。太陽の光とカメラと散歩する場所があれば、あとはこの身ひとつで写真が撮れる。目の前の過ぎていく一瞬を切り取って、生きた跡とする。